【ハッピーだ】ニュースまとめ

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    訃報



    (出典 blue.ap.teacup.com)



    1 あちゃこ ★ :2018/03/19(月) 19:10:26.96 ID:CAP_USER9.net

     今年1月4日に膵臓(すいぞう)がんのため70歳で亡くなった楽天・星野仙一副会長のお別れの会が19日、都内で行われ、大学時代から親交のあった
    元広島監督の山本浩二氏(71)が弔辞を述べた。法大のスラッガーだった山本氏は明大でエースを務めた星野副会長と東京六大学からライバルとして戦い、
    2008年の北京五輪では星野監督の下で打撃コーチとして支えた。

     台本などは使わずに語りかけるようにして、ゆっくりと言葉を選びながら7分52秒だった弔辞は以下の通り。

     「仙、まだ信じられないよ。去年のパーティーで疲れているんじゃないかなという思いがありました。1月に訃報を聞いたときに、まさか…。さみしくて、
    悔しくて、今でも信じられません。50年の付き合いになるんだよな。よきライバル、そしてよき友として、張り合って来ました。現役時代は、
    移動日になると、お互いの家に食事に行き、何の変哲もない話ばかりして、子供たちも大変世話になりました。監督時代、チームを率いるんだから、
    付き合いはやめようと約束をして戦いました。考えてみればいつも、負けたくない気持ちをお互いをもっていたんじゃない。ただひとつ、若い頃、田淵と3人で
    食事をしているとき、『いつか一緒のユニホームで戦いたいな』と。その戦いたいユニホームが北京オリンピックでした。監督の要請があったときにすぐに
    電話をくれて、『一緒にやるぞ』と。残念ながら、メダルは獲れませんでした。しかし、あの間の、1年半、非常に充実した、そして、周りからの批判も
    あるかも分からないけど、がむしゃらにやろうじゃないかという話をしました。相手の国の視察、予選の前の合宿、それから本戦まで気の抜けない毎日でした。
    普通の監督だったら、3人ではできなかったかもしれない。星野仙一の心の広さ、懐の深さをしみじみ感じました。改めて、星野仙一はすごいやつだったんだなと。
    そのすごい奴を50年間、友として、付き合ってくれて、本当に、ありがとう。今日もたくさんの人がお別れに来ている。全国の人が、
    別れを惜しんでいる。すごい人間だった。この笑顔は、忘れられないよ。ケンカ早い仙が、本当は心の優しい奴なんだというのは、皆さんが
    もう知っている。今頃、亡くなった扶沙子さんと楽しくやっているんだろうな。家族を愛し、チームを愛し、ファンを愛し、野球に恋をした星野仙一。
    友でよかった。ありがとう。安らかに」

    スポーツ報知
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180319-00000219-sph-base

    (出典 amd.c.yimg.jp)


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    (出典 www.zakzak.co.jp)



    1 湛然 ★ :2018/03/18(日) 05:07:47.61 ID:CAP_USER9.net

    3/18(日) 5:00 毎日新聞

     名探偵・浅見光彦シリーズで知られる人気作家、内田康夫(うちだ・やすお)さんが13日、敗血症のため東京都内で死去した。83歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会は行わず、3月23日~4月23日、長野県軽井沢町の浅見光彦記念館に献花台が設けられる。喪主は妻で作家の早坂真紀(はやさか・まき、本名・内田由美=うちだ・ゆみ)さん。

     東京都北区出身。東洋大中退。テレビCM制作会社を経営していた1980年、自費出版したミステリー「死者の木霊」が編集者、評論家らの注目を浴びて作家デビューした。3作目「後鳥羽伝説殺人事件」(82年)で浅見光彦が初登場。「天河伝説殺人事件」(88年)「氷雪の殺人」(99年)など、警察庁刑事局長を兄に持つルポライターで年を取らない永遠の33歳、愛車ソアラを転がして全国各地で起きる事件の謎を解くキャラクターが愛された。「孤道」(未完・2017年)までシリーズ114冊、累計発行部数9700万部という人気を獲得。相次いでテレビドラマ化された。

    (以下略、全文はソースをご覧ください。)


    作家の内田康夫さん=2014年、竹内紀臣撮影

    (出典 amd.c.yimg.jp)

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180318-00000001-mai-soci


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    (出典 i.gzn.jp)



    1 孤高の旅人 ★ :2018/03/14(水) 13:35:24.46 ID:CAP_USER9.net

    英「車いすの天才学者」ホーキング博士死去=76歳、ブラックホールなどで新宇宙論
    3/14(水) 12:57配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180314-00000043-jij-eurp

     【ロンドン時事】「車いすの天才宇宙物理学者」として知られる英国のスティーブン・ホーキング博士が中部ケンブリッジの自宅で死去した。

     76歳だった。英メディアによると、家族の関係者が14日、明らかにした。

     ホーキング博士は、量子力学や一般相対性理論などを駆使して、1960年代後半にブラックホールの存在を示したほか、83年には宇宙の始まりを解明する「無境界境界条件」論を展開するなど、新しい宇宙理論を提唱。現代宇宙論の進展に大きく貢献した。

     同博士は42年、中部オックスフォードで生まれた。オックスフォード大、ケンブリッジ大大学院を修了、カリフォルニア工科大教授を経て、77年ケンブリッジ大キース・カレッジ教授、79年には、かつてニュートンが就いていた権威ある同大のルーカス記念講座教授職を務めた。

     大学院生時代に筋肉が衰える難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病したが、学究生活を続け、74年、最年少の32歳で英国学士院会員に選ばれたほか、アインシュタイン賞、ハーバード大名誉科学博士など多くの賞や学位を獲得した。 

    ★1:2018/03/14(水) 12:43:48.95
    前スレ
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520999028/


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    (出典 c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp)



    1 記憶たどり。 ★ :2018/02/25(日) 07:09:05.03

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180225-00000000-spnannex-ent

    1970年代の大ヒットドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気を博し、
    名バイプレーヤーとして知られた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘
    =ひだき・みちひろ)さんが24日午後3時、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。
    東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。左さんは昨年、急性心筋梗塞で倒れ、闘病を続けていた。

    復帰の夢はかなえられなかった。希代の名バイプレーヤーは家族にみとられながら旅立った。
    昨年6月、ミュージカルの舞台を直前に控えていた左さんは、自宅で胸の痛みを訴えて救急搬送され、
    急性心筋梗塞の緊急手術を受けた。手術後には誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、酸素呼吸器を
    つけながら闘病を続けていた。

    10月ごろには呼吸器を外し、自発呼吸できるまでに回復。関係者も「筋力を戻すために
    リハビリが必要で入院している。良い方向に向かっている」と語っていたが、願いは届かなかった。
    親しい知人らは「後日、お別れの会ができれば」と話している。

    左さんは愛嬌(あいきょう)のある表情と、とぼけた味わいのある演技がお茶の間で愛された。
    舞台関係者は「チャーミングな人で誰からも慕われた。病気でミュージカルや全国巡業の舞台を
    降板したことが心残りだっただろう」と語った。

    1957年に同級生と劇団を結成。芸名の「左」は本名の「肥田木(ひだき)」からとったもの。
    20代の頃は10年ほど新宿コマ劇場で修業。先輩役者の芝居を見て学び、喜劇役者としての
    キャリアを積んでザ・ドリフターズのコメディー映画にも出演した。70年代にはTBSの「時間ですよ」、
    「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などさまざまなドラマでお茶の間の人気者に。86年にスタートした
    日本テレビ「女監察医 室生亜季子」では刑事役を熱演し、20年以上続く人気シリーズとなった。
    映画でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」(83年)や「吉原炎上」(87年)などに出演した。

    私生活では賭博事件で3度逮捕されるなど波瀾(はらん)万丈。助けてくれたのは仲間たち。
    小林桂樹さんは自宅に来て「これが犯罪者の家か」と笑い飛ばし、憧れの森繁久弥さんや「お母さん」と
    慕った森光子さんは「左とん平を叱(しか)る会」を開いて叱咤(しった)激励した。

    さまざまな役柄を演じた左さん。役者人生の長くを脇役で過ごしてきたが、その存在感は主役に勝るものだった。

    ◆左 とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)1937年(昭12)5月30日、
    東京都生まれ。高校卒業後、実家の寿司店で働いていた時に友人に誘われて俳優活動を始めた。
    57年には三木鶏郎さんの「冗談工房」に参加。人気ドラマ「時間ですよ」などで注目を集め、
    「銭形平次」や「鬼平犯科帳」など時代劇でも名脇役として活躍した。


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